「喧嘩してもいい」――認知症の家族と向き合う人に伝えたいこと

「どんなふうに関わればいいのでしょうか」

仕事をしていると、こうした問いかけをいただく場面が本当によくあります。もちろんすぐには答えず、その方が本当に知りたいことは何なのかを丁寧に掘り下げていくのですが、話を進めていくと、行き着く先は大きく二通りに分かれることが多いと感じています。

一つ目は、認知症の方とどのような心持ちで向き合えばよいのかという、いわば心構えの部分を求めているケース。二つ目は、実際の場面でどんな言葉を選び、どう振る舞えばよいのかという、より実践的な対応方法を求めているケースです。

どちらのタイプにも共通しているのは「接し方」というテーマそのものです。これを学ぶことは、認知症という病気を理解していくうえで欠かせない出発点だといえるでしょう。ただし注意したいのは、口にされた質問の内容と、その方の胸の内にある本当の気持ちとが、必ずしも一致しているとは限らないという点です。なぜ今、その情報を必要としているのか。そして、その答えを今の状態で受け止めきれるのか。支援する立場の人間は、そこを丁寧に見定めていかなければなりません。

相談に来られる方とどう向き合うか

認知症という病気そのものは、ある日いきなり発症するものではありません。しかし核家族が主流となった現在の日本では、親と離れて暮らす子ども世代がほとんどです。久しぶりに実家に顔を出したとき、親の様子や言動に「様子が違う」と違和感を覚え、それをきっかけに認知症の可能性に気づくというケースは珍しくありません。そしてその気づきは、まるで予告なくやってくる不意打ちのように、突然その人の日常に入り込んでくるのです。

こうした状況にある方は、心構えができていないまま、それでも「何かしなければ」という思いだけを抱えて相談にいらっしゃいます。ここで支援する側が注意すべきなのは、その方が認知症について本当に正しい理解を持てているかどうかを、思い込みで判断しないことです。責任感の強い方であるほど、「自分がしっかり理解し、正しく対応できるようにならなければ」と考えてしまう傾向があります。そのため支援者は、まず診断がすでに出ているかどうかを確認し、それが病気であるという認識をきちんと持てているか、そして何より、その現実を心の中で受け止められているかどうかを丁寧に確認していく必要があります。

一見冷静に見える方でも、心の内側では気持ちが大きく揺れ動いているものです。そのため見極めには時間を要することも珍しくなく、時には相談者との間に丁寧に信頼関係を築いていく過程そのものが必要になることもあります。そのうえで、質問にそのままお答えする場合もあれば、あえて表現を変えたり、まったく違う視点からお伝えすることもあります。

支援の中で大切にしている確認事項は、認知症について正確な理解ができているか、それが病気であるという認識まで含めて理解できているか、そしてその現実をきちんと受け入れられているか、という3点です。

家族と衝突してもかまわない

以前、こんな相談をいただいたことがあります。「父が認知症なのですが、これだけはやめてほしいと伝えても聞いてもらえず、いつも喧嘩になってしまいます。たとえば火の扱いをやめさせたいとき、どんな言い方をすればいいでしょうか。できれば揉めずに済む方法があれば教えてください」というものでした。

相談の冒頭で「認知症」という言葉が出てきたので、ある程度理解が進んでいる方なのかと最初は感じました。しかし話を丁寧に伺っていくうちに、実際は少し違う状況が見えてきました。おそらく近年、テレビや新聞などで認知症が繰り返し取り上げられてきた影響で、言葉のイメージだけが先行して頭に入っていたのだと思います。さらに詳しく伺うと、相談者ご自身がすでにかなり疲弊されていて、認知症についての理解もまだぼんやりとしたものにとどまっていることがわかりました。そこで初回の相談では、認知症への理解を深めていただくためのお話と、火の扱いに関する具体的な工夫、そして何より「衝突してしまってもかまわない」ということをお伝えしました。

あえて「衝突してもいい」と伝えた理由

その言葉を聞いた相談者は、「喧嘩してもいいんですか?」と、少し意外そうな表情を浮かべていました。そこで私はこう伝えました。「人は誰も完璧な存在ではいられません。腹が立つこともあれば、感情的になってしまうこともあります。親子であればなおのこと、ぶつかり合うのはむしろ自然なことではないでしょうか」

しばらく間があったあと、相談者は「そう言ってもらえるのを待っていたんです」と、ほっとしたような表情を浮かべ、その日の相談は終わりを迎えました。この一件に限らず、日々のさまざまな場面において、ほんの少し肩の力を抜くだけで、見える世界が変わってくることは少なくありません。そのきっかけを作ることもまた、支援する立場にある人間が担うべき大切な役割の一つなのだと感じています。

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在宅介護で疲れ果てないために

「子育てがようやく落ち着いたと思ったら、今度は親の介護が始まる」という話を、周囲からもよく聞くようになった年代に自分もなりました。風邪をこじらせて1週間ほど寝込んだだけで足腰が立たなくなってしまうというのは決して珍しい話ではなく、介護というものはある日突然、前触れもなく始まってしまうことがあります。

ここでは、自宅で家族の介護にあたる人が持っておきたい心構えを4つの視点からまとめてみました。

すべてを一人で背負わない

施設に空きがなく預け先が見つからないまま仕事を辞めて実家に戻る人や、老老介護の果てに悲しい結末を迎えてしまうニュースなど、介護をめぐる話題には暗い側面ばかりが目立ちます。なぜそこまで追い詰められてしまうのか。

介護保険制度の整備によって負担が和らいだ部分は確かにありますが、介護する側そのものを支える仕組みは、まだ十分に整っているとは言えません。だからこそ、介護を担う人自身が限界まで疲弊してしまわないことが何より重要です。「家族なんだから自分がやらなければ」という強い責任感を抱く方も多く見かけますが、実際に調べてみると相談できる窓口や手を差し伸べてくれる仕組みは存在しています。抱え込まないという意識だけは、常に頭の片隅に置いておいてほしいと思います。

無理をしすぎない

祖母をデイサービスに通わせてはどうかという話が持ち上がったとき、母は「あんなにしっかりしていた祖母の弱った姿を、他人の目にさらしたくない」と言って強く反対したことがあり、正直戸惑いました。同じ話を繰り返す祖母に苛立ち、口論になりかけていたのを見かねての提案だったからです。そこで「これは自分が勝手に決めたこと」という形にして、休みの日に合わせて祖母の身支度を手伝い、デイサービスへ送り出すようにしました。第三者の目から見ても、外部の助けを借りずに家庭内だけで抱え続けることは、母にとっても祖母にとっても良い結果をもたらさないと感じたためです。

こうした「人の手を借りたくない」という思いを抱くご家庭は、理由はさまざまであっても意外と多いと聞きます。介護を担う人手そのものが減っている今、精神的に追い込まれてしまわないよう、ある程度の覚悟と、いざというときのための知識を前もって持っておくことが欠かせません。

周囲とのつながりを持っておく

誰かに頼ることは、決して恥ずべきことではありません。ちょっとしたヒントをもらうだけでも十分価値があり、利用できるものは遠慮なく利用するくらいの姿勢でちょうどいいのです。民生委員や地域包括支援センター、NPO団体、そして高齢者総合相談センター(通称シルバー110番)といった無料の電話相談窓口も心強い味方になります。

近所の方にも状況を軽く伝えておくと、気持ちの負担が和らぐだけでなく、何かあったときに気づいて知らせてもらえることもあります。兄弟姉妹や親戚にも早めに共有しておくとよいでしょう。実際に介護を手伝わない親族ほど、あれこれと口出ししてくることがあるものです。金銭的な援助はしないのに、お金の使い道にだけ意見してくる人もいるくらいです。

反対に、実際に介護の中心を担っている親族がいる場合は、たまにはじっくりとその話に耳を傾けてあげてください。「介護に疲れている」という気持ちを理解してもらえるだけで、心はぐっと軽くなるものです。そして何より、主となって介護をしている人の方針をできるだけ尊重する姿勢が大切です。頭ごなしに否定されることほどつらいことはなく、それがきっかけで親族間の関係がこじれてしまうことも少なくありません。

孤立した状態を避ける

介護には先の見えない不安がつきまとい、体力的にも精神的にも、そして経済的にも大きな負担がかかります。だからこそ、頑張りすぎず、一人だけで抱え込まないことが何より大切です。介護を受ける本人にはデイサービスなどを活用してもらいながら、介護する側が自分らしく過ごせる時間を確保することも忘れてはいけません。

心身ともに疲れ切ってしまう前に、周囲に助けを求められるよう、日頃から人とのつながりを広げておいてください。もしものときに備えて、家族や親戚とあらかじめ話し合っておくことも一つの方法です。あなたの人生は、介護のためだけに存在しているわけではありません。

おわりに

私自身の家族の話をすると、医師から施設への入所を勧められたにもかかわらず、それを断った経験があります。理由は、空いていた施設があまりに遠く、頻繁に面会に行けないと感じたからでした。都合の良い理由をつけて選んだ結果、後になって後悔した部分もありますが、そのときそのときに抱いていた気持ちは、どれも紛れもなく本物でした。

介護をする家族自身が心身を壊してしまったり、最悪の場合は虐待という事態に発展してしまったりすることだけは、何としても避けなければなりません。「認知症の人と家族の会」のように、情報交換の場や勉強会、互いに励まし合える居場所を提供している団体もあります。一人きりで踏ん張り続けるのではなく、意識してリフレッシュする時間を取りながら、心にゆとりを持って過ごせるよう工夫していくことが大切です。

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若年性認知症は介護保険が使える

若年性認知症と診断されると、ご家族だけの支えでは日常生活を維持することが難しくなり、介護サービスの利用を検討する場面が出てきます。ここでは、若年性認知症の方がどのような介護サービスを受けられるのかについてお伝えします。

40歳から利用できる介護保険

介護サービスというと高齢者だけのものというイメージを持たれがちですが、実は40歳以上で若年性認知症と診断されれば、介護保険を利用することができます。高齢者と同じ枠組みで自己負担1割(所得に応じて2割の場合もあります)でサービスを受けられる仕組みです。

若年性認知症は障害福祉サービスの対象と思われることも多いのですが、障害サービスと介護保険の両方が利用できる場合は、介護保険サービスが優先されるという原則があります。

デイサービスが最も利用されている

若年性認知症の方が利用するサービスの中で、特に多いのがデイサービスです。日中だけ施設に通い、食事や入浴、リハビリなどを受けられるこのサービスは、ご家族の介護負担を軽減する目的で利用されるケースがほとんどです。

若年性認知症の方は身体的には元気な場合が多く、自宅で長時間見守り続けるご家族の負担は決して小さくありません。特に入浴の介助を自宅で行うのは大変な作業です。そのため、日中を安心して預けられるデイサービスが選ばれやすい傾向にあります。あわせて、短期間の宿泊が可能なショートステイもよく利用されるサービスの一つで、家族の負担を大きく和らげるものとして重宝されています。

施設入居を検討する際の注意点

デイサービスやショートステイを組み合わせても、自宅での生活の継続が難しくなる場合があります。若年性認知症が進行すると、目が離せないほどの問題行動が現れることも多く、ご家族が精神的に疲弊し、うつのような状態に陥ってしまうこともあります。

そうした状況で選択肢となるのが施設への入居です。ただし、いくつか気をつけたい点があります。まず、多くの介護施設は高齢者を主な対象としているため、提供されるサービスも高齢者向けが中心になりがちで、まだ若い認知症の方にとっては物足りなさを感じることがあるかもしれません。また、周囲が高齢者ばかりの環境に「自分の居場所ではない」と感じ、入居に抵抗を示すケースも考えられます。入居直後はご家族が頻繁に面会に訪れ、少しずつ安心できる居場所を作っていくことが大切です。

施設の中には、若年性認知症の方の受け入れに力を入れているところもあります。そうした施設では職員が若年性認知症特有の対応に慣れているため、より適切なケアを受けやすいというメリットがあります。

若年性認知症とどう向き合うか

若年性認知症は、これまで元気に過ごしてきた方が突然発症する病気です。周囲は戸惑い、ご本人も強い混乱を抱えることになるでしょう。それでも、骨折やがんと同じようにこれは一つの病気であり、「病気だから」と受け止めることも時には必要です。

近年では若年性認知症を支援する団体や、同じ立場にあるご家族が集まる会なども増えてきており、以前と比べてサポート体制は着実に整いつつあります。こうした機関を上手に活用しながら、ご本人もご家族も無理なく病気と付き合っていく姿勢が大切です。

まとめ

若年性認知症であっても介護サービスを利用することはでき、日常生活はある程度支えてもらえます。ただし、若年性ならではの難しさもあるため、施設選びなどは特に慎重に進めることをお勧めします。わからないことがあれば一人で抱え込まず、ケアマネジャーなどの専門家に相談し、頼れるところは頼っていくことが、この病気と長く付き合っていくうえでの大切なポイントです。

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入れ歯でリンゴにかぶりつく95歳

今回お話しするのは、特別養護老人ホームでともに時間を過ごした、95歳のBさんについてです。ご自身の足でしっかりと歩くことができ、日常の身の回りのことも大部分をご自分でこなせる方でしたが、ご家族を取り巻く事情があって施設での暮らしを選ばれることになりました。表面上は特に手のかからない方に見えるBさんでしたが、実際に関わってみると、思わず笑みがこぼれるような、そしてふと考えさせられるような出来事に何度も出会うことになりました。今回はその中から、心に残っているいくつかの場面をお伝えします。

気づけばなくなっていたもの

入所されたその日、Bさんは「お手洗いはどちらですか」と尋ねてこられました。場所をご案内すると、丁寧に頭を下げてお礼をおっしゃり、そのまま向かわれました。ところがその後、別の方がトイレを使おうとした際に「紙が見当たらない」という声が上がりました。見てみると、備え付けのトイレットペーパーが跡形もなく消えていたのです。原因を探っていくと、なんとBさんがご自身の居室に持ち込んでいたことが判明しました。ご本人にその自覚はまったくなく、「どうしてこんなに紙が私の部屋にあるのかしら」と首をかしげておられました。

同じようなことがその後も繰り返されたため、トイレ内には紙類を一切置かず、利用のたびに職員が手渡す形に切り替えました。あわせて、他の方が使う分については車いすの後方に予備を用意しておくという工夫も加えました。

見知らぬ部屋で見つかったBさん

別の日、夕食を終えて歯を磨き終わったBさんが「おやすみなさい」と声をかけて自室へ向かわれるのを見届けました。その場は他の方の対応に追われていたため、特に気にかけずにいました。

少し経ってから居室を覗くと、姿が見当たりません。フロアの外へ出た様子もなかったため、一つひとつ部屋を確認していくと、別の女性の居室の中にいらっしゃったのです。事情を尋ねると、「自分の部屋に知らない人がいたのよ」と答えられました。この出来事をきっかけに、Bさんがときどき自分の居室の場所を見失ってしまうことがあるとわかりました。そこでスタッフ同士で話し合い、居室のドアに名前入りの札を掲げることにしました。

家事となると人が変わる

一方で、家事仕事となるとBさんの動きはまるで別人のようでした。食器を手早く洗い上げ、テーブルを丁寧に拭き上げる姿はまさに手慣れたもの。他の入所者の方と息を合わせて、10人分の洗濯物をあっという間に畳んでしまうこともありました。そうした共同作業を通じて周囲との距離も自然と縮まり、冗談を交わしながら笑い合う場面が増えていきました。

入れ歯でもリンゴをかじる

いくつもの思い出の中でも、とりわけ心に残っているのはリンゴ狩りに出かけた日のことです。ある入所者のご家族が経営するリンゴ園にお邪魔し、みんなで収穫を楽しむ機会がありました。Bさんも意欲的に参加し、次々とリンゴを摘み取っていきます。

和やかな空気の中、ふいに「しゃくしゃく」という小気味よい音が耳に入りました。振り返ると、Bさんがその場でリンゴにかぶりついていたのです。総入れ歯であるはずのBさんがリンゴをそのまま食べられるとは思っておらず、思わず目を見張りました。「痛くないですか」と声をかけると、「全然痛くないよ、美味しいねえ」と、にっこり笑いながら頬張っていました。その屈託のない笑顔を見て、こちらの気持ちまで温かくなりました。カメラを向けると、ピースサインで応えてくれるお茶目な一面も見せてくれたのです。

まとめ

最初のうちは、Bさんの予想外の行動に戸惑うことが正直多くありました。しかしスタッフ同士で話し合いを重ねる中で、「戸惑っているのはBさんご自身も同じなのではないか」という視点にたどり着き、Bさんが安心して過ごせるようさまざまな工夫を試みることにしました。そうした関わりを続けるうちに、Bさんの様子も次第に落ち着きを見せるようになっていきました。

この経験から強く感じたのは、目に見える症状だけに目を奪われるのではなく、その方自身をきちんと見つめることの大切さです。行動を無理に抑え込むのではなく、「なぜそうするのか」という背景に目を向けることで、思いがけず解決の糸口が見つかることも少なくありません。この学びを、これからの介護の仕事にも大切に活かしていきたいと思います。

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高齢者は運転をやめられない――介護保険が対応できない「外出」という現実

高齢ドライバーによる交通事故が社会問題として注目を集めるようになって久しく、免許の自主返納促進や更新時の認知機能検査の厳格化など、さまざまな対策が講じられてきました。しかし根本的な解決には至っていないのが現状です。加齢とともに判断力や運動機能が低下し、それが運転に影響を及ぼすことは否定できません。

一方で、高齢者が運転をやめられない背景には、単なる便利さへの執着とは異なる、切実な事情があることが明らかになっています。国立長寿医療研究センターの研究によれば、運転をやめることがその後の要介護状態や抑うつ、認知機能の低下につながるリスクを高めることが示唆されており、運転をやめた人はやめていない人に比べて要介護認定を受けるリスクが約8倍に跳ね上がるという驚くべきデータも報告されています。

つまり高齢者にとって車の運転は、移動の手段というだけでなく、社会とのつながりや生活の質を保ち、健康寿命を維持するための重要な活動基盤となっているのです。運転をやめることが心身の衰えを加速させるという現実は、事故のリスクと同じくらい、あるいはそれ以上に深刻な問題として受け止める必要があります。

こうした実態を踏まえると、現在の免許返納制度は、返納後の生活や健康を支える介護保険制度や行政サービスとの連携が十分に機能しているとは言いがたい側面があります。安全の確保と高齢者の自立した生活の両立という難題を解決するには、運転を制限するだけでなく、移動手段の代替や社会参加の機会をどう保障するかという視点から、行政の枠を超えた包括的な支援の仕組みを整えることが求められています。

介護保険では「外出」をカバーできない

年齢を重ねると足腰が弱り、徒歩や公共交通機関での外出が負担になる方が増えてきます。それでも一人で生活している方や、ある程度自立している方の中には、買い物や通院、趣味のお出かけに付き添ってくれる人が身近にいないケースも少なくありません。

まだ車を運転している高齢者の多くは、介護保険を使っていても要支援程度の軽い介助が必要な段階の方がほとんどです。ところが、そうした方を病院や買い物に連れて行くサービスは、現行の介護保険には用意されていません。

通院時のヘルパー同行は制度上可能ですが、要支援の方は対象外です。買い物の同行は認められているものの、徒歩や車いすでの移動が前提であり、歩いていける距離にお店がなければ代行を頼むしかありません。

嗜好品やペット用品の購入、趣味のお店への外出となると、介護保険の適用外となります。自分の目で見て選んで買いたい、本屋に立ち寄りたいといった、ごく普通の希望も介護保険では叶えられないのが現実です。

ある程度の規模の都市であれば選択肢もありますが、地方では介護保険事業所の数自体が少なく、生活に最低限必要なサービスしか利用できないことも多々あります。そしてそのような地域ほど車なしでは目的地に辿り着けないため、かなりの高齢になっても運転を続けざるを得ない状況が生まれています。

ソフトとハード、両面からの整備が必要

行政が手をこまねいているわけではありません。社会福祉協議会や地域包括支援センターによる外出援助サービス、ボランティア団体による移動支援、公共交通機関の割引制度など、さまざまな取り組みが行われています。

ただ問題は、こうしたサービスが肝心の高齢者に十分に届いていないことです。ケアマネジャーや民生委員などがそばにいれば情報を伝えることもできますが、そのような支援につながっていない方は、サービスの存在を知らないまま自分で運転するしかないという状況に置かれています。

自分で運転することを選ぶ方もいるでしょうが、送迎サービスが今より充実し、広く知られるようになれば、無理をして運転を続ける人は自然と減っていくのではないでしょうか。

ハード面では、自動車の技術的な進化が欠かせません。自動ブレーキは普及が進んできましたが、さらなる技術革新と自動運転の実用化が望まれます。実際に私の担当する利用者さんが、自動ブレーキのおかげで事故を免れたというエピソードもあります。

すべての問題が解決するわけではありませんが、誰もが安心して乗れる車が当たり前になれば、高齢者に限らず交通事故全体の減少につながるはずです。

まとめ

行きたいときに行きたい場所へ、自分のハンドルで向かう。何十年と続けてきたその当たり前の行為を、特別なきっかけもないままやめることは容易ではありません。やめることで日常生活に支障が出るならなおさらです。

高齢者による事故を防ぐことは当然大切ですが、運転を続ける高齢者をただ責めるだけでは何も変わりません。介護保険をはじめとする周辺の制度を整え、誰もが安心して暮らせる社会の実現に向けた議論と取り組みが、今こそ必要なのではないでしょうか。

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「がんばってな」――声を振り絞って励ましてくれた利用者さん

「何となく」という気持ちからスタートした私の介護職への道。まさかその後10年以上も働き続けることになるとは、当時の自分には想像もできませんでした。決意するまでには、さまざまな出来事があり、忘れられない言葉との出会いがありました。

周囲に背中を押されて進んだ学校

介護の道に踏み出すきっかけは、親や中学の先生に勧められて福祉科のある高校へ進学したことでした。それまで介護という仕事に特別な関心を持っていたわけではなく、祖母がデイサービスに通い始めてから表情が明るくなったのを見て「介護の仕事って人を元気にするものなんだな」とぼんやり感じていた程度です。

卒業までに実務者研修と介護福祉士の受験資格が取れるという点に惹かれつつも、「向いていなければ就職しなければいい」くらいの軽い気持ちで入学しました。そんな私の意識を大きく変えたのが、施設での現場実習です。

現実の壁と、押しつぶされそうな無力感

「何となく」の気持ちのまま臨んだ実習は、想像をはるかに超える厳しさでした。中でも強い衝撃を受けたのが、認知症の利用者さんとのやりとりです。少し前まで和やかに話していたのに、突然混乱して会話が噛み合わなくなったり、大声で怒鳴られたりすることが続きました。挨拶をしただけで「うるさい!」と怒鳴られ、お茶をかけられたこともありました。

頭では学んでいたはずの認知症の症状も、実際に目の前にすると受け止めきれず、どう対応すればいいかわからない自分に無力感ばかりが募りました。「自分にはこの仕事は向いていないのかもしれない」という思いが頭をよぎり始めたころ、施設の職員さんにそのつらさを打ち明けました。返ってきた言葉は「つらいと感じるときほど、自分らしく自然体で接してみて。そうすると自分も利用者さんも気持ちが楽になってくるから」というものでした。

自分なりのやり方で、少しずつ前へ

その言葉を胸に、翌日から変えられることを一つずつ実践してみました。利用者さん一人ひとりに大きな声で挨拶をし、どんな場面でも笑顔を絶やさないこと。対応に困る場面が起きても不安な顔を見せず、ゆったりと落ち着いて接するように心がけました。すると少しずつ利用者さんの様子が変わり、穏やかに話しかけてくれるようになりました。その人それぞれの個性や、会話の中にある小さな楽しみも見えてくるようになりました。

教科書に書かれた正解とは違うかもしれないけれど、自分の心を開いていくと相手も心を開いてくれる。そのことが、いつか自分の強みになっていくのかもしれない、そんな手応えを感じ始めていました。

忘れられない、あの日の言葉

実習最終日のことです。咽頭がんで声を出せない男性の利用者さんに手招きされ、そばに行くと、私の手のひらをそっと取り、指で文字を書きながら伝えてくれました。
「まいにち あいさつ ありがとう こちらまで げんきになれました」
「いい かいごしになれる だいじょうぶ」
そして最後に、私の耳を自分の喉元へ引き寄せ、空気が漏れるようなかすかな声を振り絞って「がんばってな」と言ってくれたのです。

その瞬間、介護の道で生きていこうと決めました。何もできなかった自分に「ありがとう」と言ってくれた人がいた。自分なりの向き合い方を、ちゃんと見ていてくれた人がいた。声を振り絞って励ましてくれた人がいた。その事実がすべてで、「自分でも役に立てるかもしれない」と初めて心から思えたのです。この実習での経験が自信の土台となり、高校卒業後に介護施設で12年間働き続けることができました。

仕事をしていれば必ず壁にぶつかります。そのたびに思い出すのは「つらいときほど自然体で」という職員さんの言葉と、利用者さんからもらった「がんばってな」という一言です。教科書の内容と現場は必ずしも一致しません。職員にも利用者さんにも、それぞれの「その人らしさ」があって当然です。自分なりのやり方で介護と向き合い、その中に喜びや楽しさを見つけていってほしいと、今も心から思っています。

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介護職員なら知っておきたい虐待の種類と現場の実態

特別養護老人ホームをはじめとする介護施設における高齢者への虐待は、いまだ後を絶たない深刻な問題です。今回はこの問題について、現場経験も踏まえながら考えてみたいと思います。

施設内での虐待は増加傾向にある

厚生労働省の調査によれば、令和2年度に施設職員による高齢者虐待として相談・通報があった件数は2097件にのぼり、そのうち595件が実際に虐待と認定されています。この数字は年々増加しており、決して見過ごせない状況です。

ニュースで取り上げられる事例は暴力を伴う身体的なものが多い印象がありますが、虐待にはさまざまな形があり、施設内で起きているかどうかの判断が難しいケースも少なくありません。

虐待の種類と背景にあるもの

高齢者虐待は大きく5つに分類されます。身体に危害を加える身体的虐待、食事を与えない・必要な介護を行わずに放置するネグレクト、威圧的な言動や侮辱によって精神的な苦痛を与える心理的虐待、性的な行為を強いる性的虐待、そして金銭を盗んだり無断で借りたりする経済的虐待です。

これらは必ずしも明確に切り分けられるものではありません。たとえばトイレへの誘導を求める利用者に対して「今は忙しいから待って」と強い口調で言い放ち、そのまま放置して失禁させてしまったとすれば、精神的な苦痛を与えるとともに日常介助の放棄にも当たります。

さらにその後、急いで介助しようと無理な力で引っ張ってけがを負わせてしまえば、身体的虐待にも該当しうる話です。極端な例に見えるかもしれませんが、現場では起こりうることです。

虐待が生じる背景には、認知症への理解不足や介護技術の未熟さ、そして職員自身の心理的なストレスが挙げられます。人手不足による業務の過密化が職員の余裕を奪い、目が行き届かなくなってしまうという施設環境の問題も無視できません。

現場で実際に目にしたこと

介護職として働いていたとき、入浴介助の場面で気になる出来事がありました。本来は2人一組で行うべき特殊浴槽への移乗を、ある職員が1人でこなしていたのです。半日で十数人の入浴介助をこなさなければならないスケジュールの中で、少しでも時間を稼ごうとしたのでしょう。幸い事故には至りませんでしたが、発見した時点ですぐに注意しました。

介護の仕事は個人のスキルを磨くことも大切ですが、根本にあるのはチームで支え合うという姿勢です。その前提が崩れると、職員一人ひとりへの負担は増し、利用者の安全も保てなくなります。

体力のある職員であれば一人でできてしまう介助も多いですが、介護の現場にはさまざまな人が携わっています。無理なく安全に行える方法をチーム全体で共有し、利用者の生活の質を高めることが介護の本質ではないでしょうか。

また別の場面では、利用者に対して友人に話しかけるような馴れ馴れしい言葉遣いをしている職員の姿も気になりました。親しみを込めた関わりが必要な場面もあることは確かですが、介護はサービスを提供する立場として、長い人生を歩んできた先輩方に対して敬意ある言葉遣いが基本となります。言葉には出さなくても、不快に感じている利用者がいることは十分に考えられます。

まとめ

表に出ている虐待の件数は、実態のほんの一部にすぎません。「自分の介助は適切だろうか」と感じたときに、気軽に相談でき、必要であれば指導や助言が受けられる職場の雰囲気と人間関係が何より重要です。そしてそのような環境をつくることは、介護に携わる全員に関わることでもあります。

介護は体にも心にも負荷のかかる仕事です。「最近疲れているな」と感じたら、意識的に気分転換の時間をとることも、長く働き続けるためには欠かせないことではないでしょうか。

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